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みなさん投稿お待ちしています。

山淳さんご意見ありがとうございます。
私たちも土に関われない人たちが、土に関われる場を提供したいなと思っています。

只今籾播きの真っ最中で今日はかなりばてました。
でもこういう労働ってお金にはなりませんし、労力もバカになりませんが、気持ちいいとも感じます。ここに来て気付いたことがいっぱいあります。そういうことを少しでも伝えられたらなあと思います。

身体と自然も今の時代すっかり切り離されてしまったように感じます。
しかしここに来てから少しずつ身体と自然が近づいてきつつあります。(と言いつつ頭でいっぱいお喋りしている時も。)
近頃は人は思っているより簡単に自然に戻れるのではと感じています。

私の方のブログ日記はこれから「日々の暮らし」と題して、子供のこと、自給生活のこと、自然のこと、料理のことなどを1冊のノートにしていこうと思っています。
1年に1回しかやらないような作業もあり、忘れてしまうのです。

さあ、これからは田んぼの季節です。1年で一番大忙しです。

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記事の投稿について

5月から自然農学びの場がスタートします。
そこで、このブログは栽培経過報告、および皆さんの意見交換の場として使っていきたいと考えています。
コメントではなく、記事として掲載したいと思われる方、yamaoka-1909@mrg.biglobe.ne.jp へどしどし投稿してください。(迷惑メール同様意味のない投稿も多くあると思われますので一応目を通させていただきます。)
早速、投稿第一号、東京中野区にお住まいの山淳さんの記事です。

 初めまして。わが家は、東京中野区で親子農園の畑を借りています。この農園は、もともと粘土質だったところを砂利とコンクリで駐車場にした後、それを引っぺがし、市民農園として開放した場所。雨が降って日が照ると表面の土が流れ、すぐカチンカチンになります。石コロも多い。耕しては石ひろいのくり返しです。一年ごとに区へ畑を返さなければならないので、不起耕の自然農法は夢のまた夢。最近、固い畑をクワで耕しながら、つくづく自然に抗って造られた都市も自然の大循環から逃れられないなぁと感じています。
 東京は、皇居(江戸城)あたりから先は、湿地帯を埋めて造られた人工的な都市です。人間が「意識」して街をこしらえました。人間は、とかく意識で何かをコントロールできると思いがちですが、それは錯覚。最後は大自然の摂理にぶち当たる。人は、間違いなく、誰もが、必ず、死を迎えます。これほど厳格な自然は、ありません。   
 夏目漱石は、晩年、伊豆の修善寺で胃潰瘍による大吐血をして、昏睡状態に陥った経験から「則天去私」という心境に達しました。それまで、さんざん「私(=西欧近代的自我)とは何か」と文学的に探求した漱石も、じぶんが死にかけて「天にのっとり、私を去る」との境地に至った。天とは自然でしょう。自然に従い、私を捨てる、というわけです。
 どうも日本人は西欧的な「私=自我」を固めるのが苦手なようです。ゆるやかな「世のなか」のつながりで互いの位置を確かめながら生きてきた民族です。明治以降、西欧から自我という概念が輸入され、それが社会の近代化をおし進めました。でも、日本人、一人ひとりをみると徹底的に自己主張を貫く自我があるとは思えません。表面的には「私らしさ」「オレはオレだ」と装っていても、その「殻」をはぎとると、「お金を儲けたい」「生きがいを感じたい」といった欲望しか残りません。人が欲望を持つのは一般的な話で、「オレはオレだ」と力むことではないのです。髪を何色に染めようが、ゆで卵に色をつけてるようなもんです。
 都市では「私」の殻ばかり固くなっていくようです。肩ひじ張らず、緩やかに共同体とつながりながら、生きる道を探したほうがいいのではないでしょうか。そのキーワードが「自然」と「身体」。都市生活者が、最も「意識」しなければならないのは、このふたつだと感じています。
 先日、ある著名な医学者と対話したとき、僕が「自然」と「身体」から人のつながりを見直したいと言うと、その方は「参勤交代を復活させよう」とおっしゃいました。荒唐無稽と笑うかもしれませんが、都会で暮らす者が身体を動かして地方の自然や文化に接することは、大きな意味を持ちます。同時に地方の人たちにとっても重要なトライになるでしょう。都会と地方に短期的経済効果だけを狙ったバイパスではなく、人と人のかかわりによる毛細血管のようなネットワークができないものかと夢見ています。
 ところで、どなたか教えて欲しいのですが、固い、痩せた畑でも「空芯菜」は作れるでしょうか。タネは素人でも手に入るのでしょうか。今年は、トマト、ジャガイモ、きゅうり、そして空芯菜を何としてもモノにしたい。ご教示いただけると幸いです。

山淳

身土不二

この週末、熊本に行っていました。(亨のほうです)
竹熊宜孝という人がやっている、菊池養生園を見学してきました。
「土からの医療」ということで百姓をやりながら医者もやっている面白い人です。

直接この先生とじっくり話す時間はなかったのが残念でしたが
集まった人と「地産地消」「身土不二」などについて話をしました。

僕としては、一日に130kmくらい軽ワゴンで移動した直後だったので、とても疲れていました。
運転で疲れてもいましたが、それ以外にも全身のエネルギーみたいなのがとても落ち込みました。
僕の身体という空間が内子の石畳から引き剥がされて、熊本にひょいともって行かれた感じでした。

内子の石畳で暮らし始めて3年になりますが、石畳で育った米、石畳の家の周りで育った野菜、家の前で育った鶏の卵や肉、ほとんどがすぐそばで採れたものばかりで僕の身体は出来ています。
というか、石畳の環境そのものが、僕の遺伝情報でもって僕というパターンに変化しているようなものです。
最近朝10キロくらい山道を走っていますが、食べもののエネルギーだけで僕の命が循環しているのではないことを強く感じます。
(もちろん人から貰っているエネルギーも大きいです)
僕そのものが石畳の環境そのものだなあと感じます。

化石燃料のおかげで、一日に100キロ以上も簡単に移動できるようになりましたが、僕の身体はそれについていけませんでした。
「地産地消」「身土不二」を考える時、僕はこの実感を大切にしようと思います。

国家という枠を取っ払って、自由な貿易をするというのは、頭の中では平等で合理的に考えられるかもしれませんが、何万年も続いてきた気候風土の中の身体は、それについていけないような気がします。じんわり何かが狂ってきます。

豪州とのEPA交渉についてはまだこの辺りでは話題にすらなりません。
より食べものの質が問われる時代になるでしょうし、消費者の二極分化が進むと思われます。(食べることを燃料補給と捉えるか、命の循環ととらえるか)
この際、大量生産、大量流通型の、単なる燃料(もの)としてしか食べ物を扱わない農業には見切りをつけて、日本の中山間地や、ヨーロッパの郊外のような、当たり前に自分達の食べ物を自分達で育てる感覚を、都市で生活する人ももてる様な都市作りが進まないもんでしょうか?(家庭菜園や市民農園、オーナー制度など)
全てでなくとも少しでも自分達で育てることで意識は確実に変化すると思うのですが。
もちろん高齢者や、どうしても自分で栽培することの出来ない人のための農業は必要ですが、最低限食べものを命としてあつかう農業であって欲しいです。
今年の正月6日間の断食をしましたが、飢えれば飢えるほど、食べものの命が身にしみます。だからこそ食べものは餌であってはいけないと思います。

鼠とネコ

こういう山で古い穴だらけの家に住んでいると一番やっかいなのが鼠です。
とにかく油断しているとどんどん増える。いたるところでウンチやシッコをする。何でも齧って駄目にしてくれる。
何だか昔話で風より雲より太陽より一番強いのは鼠だなんてお話があったが、本当に小さいくせに被害を一番被る。

我が家では当然のごとく台所を走り回っていた。もちろん掃除してもすぐに踏み荒らされてドロドロに。もう本当に悩みの種でした。
その我が家の鼠とうとう1年分のお米を入れている衣装ケースまで穴を開けて食べだした。

これは本当に何とかしなければー!!と思っているとこんな山の家に何故かネコが現れた。しかも誰かに飼われていたみたいで人懐こそうで可愛い。(うちの家族は私の母がネコばばあなので、その使いだと皆で言う。思うにネズミが増えるとネコや蛇が寄ってきます)

これは、うちのネコにしちゃおうと毎日餌をあげ続けた。
すると夜台所に行くと鼠取ったよとばかりにニャアと鳴く。ますます可愛い。よしよしいい子だねえ、鼠捕ってねとまたまた餌を上げる。

不思議なものでネコは魚の匂いをさせているとどこからともなく集まって増えてきます。そんなに増えても困るので、この子と決めて寄って来ると餌を上げていました。
その甲斐あってか、かなり鼠が減りました。
(餌は魚やさんに言えばいくらでも魚あらを喜んでくれますよお。)
今ではペットになってしまった犬、ネコですがこういう暮らしをしていると何故ペットとして人のそばで飼われていたかよく解ります。

化学物質過敏症

先日上のタイトルのアレルギーの60代ほどの女性の方から連絡がありました。
うちの野菜や卵を宅配しているなら送って欲しいとのこと。
私たちも以前から聞いていた病名でしたが、実際直接お話を聞くのは始めてなので、色々伺わせていただきました。

その方は、牛乳の紙パックのコーテイングや多量の農薬に反応するようでした。牛乳はビンなら飲めるそうです。缶のドリンクも古いのは飲めないそうです。トマトやメロンも駄目だそうです。なので野菜は有機のものを買っているそうです。
お肉もお米も大丈夫とのことで、高蛋白なものに反応するアトピーなどとは、また違うようです。
気にしすぎるとおかしくなるのでなるべく本人は気にしないようにしているそうです。
症状としては、目の前がチカチカしてくるそうです。

うちの卵は以前もアレルギーの方が食べて大丈夫と言っていただけたのですが、そういう方は始めてなのでどういう反応が出るかこちらも知りたいので、反応の有無にかかわらずどうだったか教えてくださいと言ってお試しで野菜と卵を送りました。

今日その方からメールが届きました。
どれもとっても安心して美味しくいただきましたと。
私たちが気になっていた卵はとっても美味しくびっくりされたそうです。

食べものに過敏に反応する方が増えていますが、アトピーもそうですが、こういう方たちはきっと本人も気付いていないのでしょうが体が弱っているのだと思います。だから体に負担のかかる物質が入ってくると過剰に反応してしまうのだと思います。
花粉症と一緒でそういう物質は体内に溜まってくるので、今健康な人もやはり食べものには気をつけたほうがいいと思いました。

大健闘

昨日はマラソン大会に行ってきました。
お父さんのナンバ走りの成果を試すため、ついでに長女も3kmのコースに初挑戦です。

お父さんはハーフ21kmを走ったのですが、結果は見事1時間34分で完走しました。1時間40分を切れば大したものだと言われていたのですが、かなりの好タイムでした。
幸い雨も降らず、気持ちよく走れたそうです。お見事。

長女も初の3kmに。練習もしていない。
小学校のマラソン大会では、7人で走って3位だった長女。
大人数というのは、どうもよく解らないらしく走る前は「1位は無理かなあ。2位くらいかなあ。」なんて面白いことを言っていました。
しかし何とか歩かず最後まで走りきりました。結果は低学年で109位でした。頑張りました。待っていた私は、はらはらはらはら真っ赤な顔をして帰ってきた姿を見ると感動しました。

農的暮らしもいいですが、たまにはこういうお祭り的なこともいいですね。
その後同じ様な暮らしをするインド帰りの御夫婦のお家に遊びに行き、本場仕込みのスパイスカレーを(うちの鶏肉でも作っていただきました)教わりみんなでご馳走になりました。
とっても素敵な1日でした。
お父さん、また今年はハーフマラソンを走ると言っています。
次も楽しみです。
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ゆっこ母さん

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最近迷惑コメントが多いので、一度目を通してから公開します。
すぐに公開されませんが、どしどしコメントお待ちしています。

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