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第4回学びの場

あっという間にこの季節は過ぎ去りますね。

田植えが終ったかと思うと草刈に追われ、そろそろ大豆、小豆の播き時です。
米、豆の作付けをやめてしまったら、かなり百姓仕事が楽になるのですが、自給生活していく上では絶対外せないところです。
子供にもやはりうちでできたものを食べさせたい。
それに何てったって売っているものより遥かに美味しい!!だから頑張ってしまうのです。

さてさて第4回学びの場のお知らせです。もう4回目です。参加される方は少ないですけれど続けることが大切ですよね。
次回は8月12日を予定しています。
味噌の方もそろそろ仕込みたいところですが、多分田んぼの草引きをすることになるでしょう。
みなさんお待ちしています。
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穂波

「穂波」
うちの10ヶ月の娘ですが、これがもう上のお姉ちゃん二人が小さかった時と比べると、とんでもない怪獣で、囲炉裏には飛び込むは(もちろん火はついてないとき、火があると入らない)、猫の箱を占領して自分が座ってるは、田んぼに連れて行くとミゾに飛び込んで全身ドロドロ。何でも手で掴まないと気がすまないので、ごはんのときはぐっちゃぐちゃ。
ものすごいエネルギッシュなのは良いのですが、母ちゃんは目が回りそうでした。

それが何だかここんとこ母ちゃんの様子がすごく落着いてるのでどうしたのかなーと思っていると、
あまりにも生活が目まぐるしすぎるので、何と子供たちが寝静まってから、外に出て夜の気に包まれながら静かにしているとのこと。(瞑想タイムらしい)
こういうときの母ちゃんの発言はとても深いものがあるので、私としてはとても学ぶ所が多いのです。例えば昨日なんか
「いろんなものを求めて今まで生きてきたけど、本当に欲しいものはすぐ近くにあったんヤネー」

ムムム・・深い。やるな、こいつ。
とまあこういう母ちゃんの変化も、「穂波の怪獣ぶり」のおかげかなあなんて思います。かくいう私も、穂波のおかげで気付いたことがあります。
3人目のせいで余裕があるせいか、やつが何をしていても愛しくて仕方がない。とにかく家の中をぐちゃぐちゃにしようが、叫ぼうが、わめこうが、愛しくて仕方がない。

自分の彼女に向けている視線が「愛情」というか「慈悲」というか、そういうもので溢れんばかりなんです。

実は、自然というか宇宙というか全ての存在も、「自分」のことをこういう視線で見ているんじゃないか。
「溢れんばかりの慈悲のこもった視線」で全てのものは「自分」をみている。
過去の全ての時空、未来の全ての時空が溢れんばかりの慈悲で、「いまここ」をみつめている。
もちろん、全ての「部分(何億という個の意識)」が、「全体」からこういう風に見つめられているんだと思います。

さらに、私自身が私に対して、こういう視線を向けてみると、今まで遠ざけていた否定的な感情や、感覚も愛しくちゃんと受け入れることができる。

すると、とても具体的に身体が変化します。後頭部が楽になったり、右肩の可動域が広がったり、ビックリするほど呼吸が深くなったり、それは具体的な変化です。

子供は、やっぱり本物の天使でした。
honami.jpg

第3回学びの場

今日は心配していた雨も降らず、昼ごろには晴れ間さえ見えて、田んぼの草引きには暑すぎず丁度よいお天気でした。

今日の参加者は、すっかり子供たちも懐いてご常連の蕨さん。1名でした。
1名でしたが、楽しく話もはずみ、時折田畑の説明も交えながらの草引きでした。
お昼は採れたての夏野菜も食べ、うちの近頃の人気メニューじゃが茄子味噌炒めや赤玉ねぎと人参のマリネなどを一緒にいただきました。

その後、棕櫚の葉で蝿叩きを作りました。私の拙いテルミーなるお灸も体験していただきました。

今日も色々お話させていただき、楽しく労働し心地よい学びの1日を過ごさせていただきました。蕨さんありがとう。半農半Xのお話考えると何だかワクワクして来ますね。お互いイメージをしっかり持ちましょう。

さて次回は8月12日を予定しています。その前後に地域のおばあちゃんの味噌作りをお手伝いしたいと考えていますので、ご興味おありの方ご連絡下さい。
さてこれからはいよいよ夏真っ盛りです。暑いのは苦手ですが、美味しい夏野菜がどんどん採れ始めることでしょう。楽しみです。

明日の学びの場について

雨が続いて、少し山道が危ないと思われますが、こんな雨が続くと畑もですが、田んぼの草が瞬く間に伸び、稲を被いつくしてしまいます。

ということで、明日の学びの場は田んぼの草引きを大雨でもないかぎり行いたいと思います。
来られる方は少ないと思いますが、合羽持参でお願いします。
(大雨で中止の場合はこのブログに朝7時までに載せます。)

雨にあたると身体も冷えますので、お昼からは囲炉裏にゆっくりあたり、その後自然療法の時間でも持てたらいいなと思っています。
ご参加される方、お気をつけてお越し下さい。
いつもの通り、石畳小学校前8時50分に集合です。

農業について思うこと

「農業なんていらない」

本気で僕はそう思っています。
「農に携わる暮らし」は出来るだけ多くの人に実践していただきたいのですが、「農を生業にする」と言うのは必要最小限にとどめるべきだと思うのです。

人類が最初に環境を操作して、生きるのに有利な条件を整えようとしたのは、「農」を通してでした。
その結果、人口は爆発的に増え、食物連鎖の輪から抜け出してしまった人類は、自分の力を誇示するために、他の種族を多数絶滅に追いやったりしました。
現在も大規模な、大型機械農業は、農地を砂漠化し、温暖化に拍車をかけています。(「愛媛山の日の集い」で聞いた話では、温暖化を進める大きな原因の一つは農業だということです。)

どうも現代文明の暴走と言うところから地球全体を見ると、人類はいわばガン細胞のようであります。頑張って栄えれば栄えるほど、地球は弱っていく。
その基盤となっているのが農業だと思います。
食物を大量に簡単に(自然を壊し、搾取して)手に入れられるからこそ、余計なことをする時間も生まれる。
少し生活レベルを落としスピードを落とすためには(がん細胞が爆発的増殖をやめるためには)どうすればいいのか。

「食べる」ということは「命を移し変える」という出来事です。
どんなに良い素材(無農薬無化学肥料の質の良い農産物)であっても、食べる状況によっては毒となる。
どんな時間に、どんな量を、どんな人と、どんな気持ちで、いただくか。最高の命ともなれば、全くの毒ともなる。
「食事」とは個々の状況で全く違う、「出来事」だと思います。

そしてさらに、人間の智恵では、大根一本、ジャガイモ一個の命も作り出すことは出来ない。自分の血液すら、人間の智恵では作り出せない。

食べて生きていくことに関する、こういった当たり前のことを知るためには、自分で自分の命の食べものを育てる「農」に携わるのが一番手っ取り早いと思います。

そのためには「農業はいらない」のです。 
どうしても農に携わることの出来ない高齢者や、専門的な職業の人に供給する最小限の農業が存在すれば良い。

地球環境を本気で考えるなら、さらに自分の周りの環境に手を加えると言う発想で堂々巡りをするのではなく、「あれもしなくて良い、これもしなくて良い」と言う福岡正信式考えの中で「自分が変わる」事を本気で見つめなおすべきだと僕は思います。
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最近迷惑コメントが多いので、一度目を通してから公開します。
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